やるしかないでしょ?w

元気と健康だけが取り柄だったアラフォーオタク(笑)が、告知されてからのあれこれ防備録。個人差の大きいことだから、もし誰かの何かになれば幸い。何より私の防備録

病院選定と、仕事と、診断と

その日のうちに上司に報告。

 

上手く伝わったのかどうか、電話ではよくわからない。

ただ、明日も休みが欲しいことを告げて電話を切った。

元々検査翌日が休みだった(これを前倒しして検査に行けと言われていた)

 

誰に何を伝えていいのかわからなくて、普通を装って、なんとなく次のイベントの原稿なんかしながら一夜を過ごした。

翌日。

再び受診すると、ドクターが紹介状を用意していてくれた。

 

「S病院は、予約が翌月になってしまうとのこと。僕は一刻も早いほうが良いと思う。T病院に木曜に飛び込みで受診してください。知り合いの先生なら安心ですから」

S 病院の予約は3週後だった。

それは流石に長すぎる。何より私が延ばされるのがいやだった。

木曜は二日後。そこに飛び込み出来るのならそれが良い。

すぐに了承して、紹介状を書いていただいた。

 

その足で、職場に向かったのは、今後の相談のためだったのと、安心したかったから。

 

直属上司は、休みだった。

代わりに部長が対応してくれた。

こう見えて、一応役職である。話は伝わっていたようで、すぐに今後のことを相談できた。

 

今後の勤務をフリーにすること。

T 病院の該当ドクターの評判を調べてくれること

なんなら、癌専門病院に掛かることを考えること

 

正直とてもありがたかった。

最悪休職か解雇を言われるかと思っていた。

とにかく診断がおりるまで悲観するなと言われたが、本人よりも家族が落ちているためそれどころではないw

 

明日は普通に働く手はずをして、木曜に受診する。その約束をしてその日は帰宅。

そこから、インターネットであれこれ調べはじめる。

この時はまだ直腸なのかS字結腸なのか判明していなくて、いろんなものを手当たり次第調べていた。

インターネットはすごいね。

付け焼き刃でどんどん怖くなる(笑)

怖くなるんだけど、ものすごく冷静になる自分がいて、とにかく荷物整理をしよう、という気になった。

 

本を大量に処分したのはこの時だ。

 

担当医の評判は悪くなくむしろ乗っかれと判断が出て、木曜に受診。

「とにかく検査をいろいろしましょうか」

穏やかに言われたのが印象的でした。

最初のIドクターが信頼を置くと言われたのがよくわかる。

 

それから、翌週木曜までに怒濤の検査が詰め込まれた。そりゃもう、びっくりするくらい(笑)

一週間の間に大腸ファイバー2回もやるとか、胃カメラも連続でやるとか思いもしなかったw

 

そして、翌週木曜診断が下る。

「直腸癌ですね。ステージは2か、もしくは3行くか行かないか。これは開けてみないとなんともいえませんが」

 

淡々と受け止めた。たぶん「そうですか」と言った記憶。びっくりもしなかった。

親の方がショック受けていたのもある。

 

「それで手術なんですけど。いつにしましょう。早いほうが良いですよね」

 

カレンダーを見せられながら、聞かされたのはちょっと信じられないことだった。

「実は先週月曜の時点でIドクターから相談があってね。ここをもう空けてあるんだ」

ここと言いながら翌週の金曜を指定された。

I ドクターすごい(笑)

なんて言うか凄い(笑)

そんなの断れるわけない。

 

お願いしますと言うしかなかった。

I ドクターの所に初診で伺ってから一月も経ってない。

 

流れに乗るというのは、まさにこういうことだと思うしかなかった

 

最初の大腸ファイバー

某所の日記をそのまま貼り付けてみる。

 

確か、検査のあと殴り書きしたのでした。


健康診断的なアレコレで初体験

とりあえずメモ。
もしものとき()の参照にしてくだせえ

前日

20時から絶食。水はどれだけ飲んでもいいい。
液体下剤を飲む。
ラキソベロンを1本(20cc)飲むのだけれど
このラキソベロンは仕事でよく使う(私がじゃない患者さんにだ)のだが、これがよく聞く。
10滴とかで、すっげええ効果になるわけだが、それを1本のめって????
ってなりました
いや、凄いね。
すごかったね。

すぐに効くのかと思ったらそうじゃなくて。
個人差もあるけれど大体5~8時間程。
夜20時に100ccの水に溶かして一気飲み。甘かったよ(患者さんのいうとおりだ)
私は5時間ぐらいで効果出た。
死ぬかと思った。
排便ショックって言う言葉があるんだけど、急激に内容物が排出されると身体がショック反応を起こすのね。それにちょっとなりかけるというか、感覚がわかったよ。
体温下がる、背中寒くなる、血圧が下がる
これがね。すーって。ついでに心臓もどくどくしちゃうぞ。
気をつけろ。

当日
水もの(あまくないもの)を2リットル持参しろといわれて、病院へ。
これ、用意してくれるところもあるらしい。
待っていたのは50錠の薬、ビジクリア
詳細はここ http://www.zeria.co.jp/medi/image/me08/pdf_01.pdf
一粒が結構大きな薬を一回に5錠。15分おきに10回飲む。
これが辛い。飲み込めない。
あと、15分て短いw
勝手に解けないから、「飲んだら運動してね」と言われる。
ただただひたすら飲んで動いて、お腹が動き出したらトイレにいくを繰り返す。
ラキソベロンが効いているのもあって、3回目くらいからトイレの住人に(笑)
これが最後の方になると、水しか出ない。いっそ感動する。そして尻が痛い()
泣けるほど痛い()
基本的にほっといてくれるので、テレビ見ながら体操しながら、Twitterしながらトイレに通う

朝の8:30に病院にいって、検査が始まるのは12時過ぎであった。

検査

検査着に着替える。
腸の動きを止める薬を飲む。
検査着は下着はお尻に穴の開いた使い捨てのやつ。ごわごわするよw
透視台に乗って検査。
なんでかと思ったら、透視確認しながらファイバー確認するからなのね(当たり前だった)
いや、あれだ。
触手ってきっとこんなだろうなとか()
ファイバーが今何処にいるのかって、言われなくてもわかるとか
体液()を吸引しながらカメラが進んでいくから、その感覚がすげえなとか()
内臓って結構色がないとか(貧血なんじゃねえのって思った)
蠕動ってすごいとか()
下行結腸? が長いって言われた。
しらんがなw
あとどこかがねじれてた?みたいで、すっげえ痛かった。ゴリゴリされた。
あれはだめだ

そんなことを感じてまいりましたのこと。


検査の後はものっすごい脱水になります。
言っといてくれよ、って思うくらい脱水になる。
なので、もし行かれる方は、ポカリを用意しておくと後で困らなくてすむぞ!
薬飲むのに使った2リットルは出ちゃっているし、中でかーなーり吸引されて水がほんっとに足らなかった。
き を つ け ろ !!

あと、空っぽになった腸にものが戻っていく感覚がものすごく駄目だった……!
あれ、空にするほうが全然楽だ。
ちょうつらい。たまらん。
空気がはいっているからぐるぐる動くのもひどい。

検査の後はほぼ動けませんでしたので、そんな感じ。

 

 

この時、直腸部分に潰瘍が見えてました。ものすごく赤くて、それまでの内壁と全く違うもの。

カメラ入れるときには見えなかったから、ホントに運なんでしょう。

もしかしたら見逃してしまうかも知れないものでした。

カメラの端に映った何かをドクターが戻って息をのんだ。

 

細胞取ってるのが見えて、なんだろうなと思ってた。

ポリープならその場で削除すると聞いていたのにそういうのをする感じはなかった。

いくつか写真も撮って、検査が終わった後、診察が待ってた。

 

 

「なるべく早く外科的処置をしましょう。した方が良い。検査結果は後回しで良いからすぐに動きましょう。希望の病院はありますか」

 

病名仰らないけどあかんのはよくわかった。

最初に聞いたのは「ストーマーになりますか」だった。我ながらズレてる。でもこの時はまじでそう思った。

ストーマーになったらどうしよう。

これからどうしよう。

 

ドクターは一瞬待ってから「それはない。今はかなり下でもそうならないし、その部位じゃない」と仰った。

 

「紹介状を書きます。この辺りだとT病院かS病院。僕はT病院をおすすめします」

でも最初に選んだのはS病院。私の記憶の中ではそちらの方が大きかったから(のちに今の評判では良くないことがわかる)

 

明日までに紹介状を用意するからまた来て下さいと言われて帰宅。

 

それでも私の頭の中は、自分の体のことじゃなくて、仕事と3週間後のイベントをどうしようで一杯だった。

病名は言われなかったけど癌であることは理解してた。

それでも、仕事をどうしようで一杯だった。

 

パニックだったのだと、今ならわかる。

 

帰宅して親に検査とその結果を告げた。

 

私より親の方がパニックになったのはある意味誤算だった。

おかげで自分が落ち込むタイミングを完全に外したのである。

これ以上は、誤魔化せない

自分に嘘をついて、気のせいだと言い聞かせて5月が目の前。

新入社員の教育もちょっと一息。

GW のイベントの原稿も入稿終わって、やれやれと思ったとき。

いつものようにお通じ後。

便器が凄いことに。

明らかに、あからさまに赤い。

鮮血で赤い。

このころにはお通じ後、紙に血が付くようになっていて、下血してることは誤魔化せないとこまで来てました。

それでも自分を誤魔化してきたのです。

きっと痔だよ。

生理が来るんだよ。

辛いもの食べたからね。

そんなのが吹き飛ぶほどの現実。

いつものように誤魔化すことは出来たのですが、させなかったのは職業人の私でした。

これ、職場で患者さんがこういう状態なら、ナース確認事項だろ?

看護師レベルじゃなくもっと上に指示を仰ぐ事態だというのはイヤでもわかる。

誤魔化して居る場合じゃない。

受診する決意をつけました。

それでも、仕事のシフトの関係で早くても5月中ごろ。

ネットで調べて、内科か消化器科だということは目星をつけました。

この頃、実は上司との関係が上手くいっていなくて(笑)受診することも、体調が良くないことも告げていなかった。

仲の良い看護師には相談してましたが。

彼女たちは、一度絶句したのち「いや、でも、きっと痔だよ」と笑ってくれてました。

そのあと「早く受診して」とも付け加えることを忘れずに。

最悪のことを考えても口にしなかったんだろうな、と想像できます。

自宅近くのその医院を選んだことは、今でもラッキーだったと思っています。今まで掛かったことのない所でしたが、そこしかないと思ったのは、何かに呼ばれたんだろうな、と。

受診して、すぐに検査をしましょうといわれました。大腸ファイバーです。

 初の体験。

びっくりしつつも浮かれていました。

基本、新しいもの好きですので(笑)

一番近くで検査できるのは、受診した翌週の月曜。

検査予約をして、休みが欲しいことを上司に告げたときのことは多分忘れないと思います。

「予定の休みをずらせないの?」

有給残ってるのにな

シフト人数は余剰なのにな

他のお気に入りの人にはすぐに休みを切るのにな

いろんなことを飲み込んで「お願いします」と頭を下げて、渋々休みをもぎ取りました。

(結果的にこれが正解だったわけですが)

この時は、まさかこんなことになるとは欠片も思っていませんでした。

ただ、上司への不満と、その愚痴を同僚に零して同情して貰っていただけでした。

ここからの急展開は、思い出してもただただ、凄かったの一言でした。

体調が良くなかった話

オタクです。

腐ってます。

どれくらいかというと、まあ、オタク歴が成人式超えるくらい。

同じくらい腐ってます。

日本の真ん中あたりに住んでいることもあって、東西ヒョイヒョイ移動できる。日帰りでイベント参加なんか楽々できます。

なので。

ほぼ毎月、何らかのイベント参加してました。かれこれ10年くらい。

イベント参加するなら、スペース欲しいよね。

スペースあるなら、新刊ないとね。

1年で12冊以上の(薄い厚いはありつつも)薄い本を書いてました。

これももう、10年くらい。

……この人凄く馬鹿ですね。

体力バカだったんですね。

医療系現場で働いているので、シフトで仕事していますから、希望さえなんとかなれば、なんとかなってました。

夜勤明けでイベント遠征とかしょっちゅうでした。

体力には自信がありました。

そして、ショートスリーパーでした。

寝なくても元気でした。

平均睡眠時間は5時間以下でした。アプリでカウントしてたので間違いないです(笑)

友達にも、フォロワーさんにも「寝てください!」言われる人でした。

「止まると死ぬの?」

とも言われてました。

健康だけど、とても健康的な生活とは言えませんでした。

仕事がら腰はいつも痛いし、頭痛持ちで、気圧症。

痛み止め(ロキソニン)はお友達でした。

一日3錠当たり前でした。

それがちょっと辛いなー、と感じたのが2016年の頭だった気がします。

年かなー、なんて思ってました(笑)

そりゃそうだ。

それでも、毎月イベント申し込みしていて、新刊用意して。睡眠時間削って。

腰が痛いなぁ

体力が戻ってこないなぁ

仕事忙しいなぁ

辛いなぁ

でも、毎日楽しかったのです。

今思うと、腰痛は尋常じゃなかったんですけどね。

いつも通りだと思っていた中で、いつも通り出なかったことが。

トイレでお通じがあったあと、流した水がなんだか赤い気がしてました。

女性ならわかると思いますが、あの時のあんな感じで、水が赤いのです。

気のせいだと思っていました。

大抵気が付くときは、数日でその時になりましたし。

第一、確認しようにもブツの上には紙が乗ってるわけですからw

確認しようがありませんしね(笑)

気のせいだと思い込みました。

同じ頃からおならが気になるようになりました。

とてもにおうのです。

あと、我慢が出来ないのです。

勝手に零れる、溢れる感じ。何もしてないのに、又は、ちょっと脚を踏ん張るだけで、出るのです。

なんだろうな。

ま、気のせいかな。

自分に言い聞かせていた気がします。

すでに3月。

新入社員研修の準備が押し迫っており、大変忙しかった。

毎日をいつも通りにすることで精一杯でした。

はじめに

ホントはこんなの書くのはまた早いとおもうのですが、何より私が忘れそうなので先に書いておこうとおもって。

このブログは私の記録の一部。

体調が良くないなーとほぼ半年放置しておいたら、実は癌だった私の話。

あ、発見が早くて、対応が早くて、切除だけで終わってます。今のところ。

でもそう言うの、体験しないとわからないでしょ?

でも体験なんて千差万別だから。

そんなの当たり前だから。

だから、私はこうだったよ、と言う私の記録。

辛いことは忘れちゃうし(笑)

記憶力もめちゃめちゃ良い方じゃない。

日記を書く習慣もないし、この間に感じたことを全部誰かに伝えているわけじゃない。

だから、忘れないように。

あと、誰かの何かになれれば良いな、位の軽い感じで。

やるしかないでしょ?w